みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。
前回フランツ・リストという人物に対しての深堀りができていなかったので今回、リストはどんな人物だったのかご紹介させていただきます。
フランツ・リストは1811年に当時の王政ハンガリーといわれる現在のオーストリアで生まれました。
父親がドイツ人ということもあり、家庭内ではドイツ語が使われており、母語はドイツ語といわれております。
ハンガリー出身ではあったもののハンガリー語だけは覚えなかったそうです。
その時代的な背景としても当時生粋のハンガリー人でさえもドイツ語しか話せなかった人も珍しくなかったといわれます。
1820年からウィーンに出てベートーヴェンの弟子だったツェルニーにピアノを師事し、サリエリから作曲を学びました。
その後、23年からパリに移り、パリ音楽院入学を試みたが外国人という理由で校長のケルビーニに入試を拒否され、音楽院はあきらめ、作曲をF.パエール、A.ライヒャに学びます。
リストは24年3月にパリでピアニストとしてデビューしましたが、たちまち大成功を収め、その名はイギリスまで伝わり、以後、リストはヴィルチュオーソ・ピアニストとしてヨーロッパ各地を演奏して回るほどの人気を博します。
晩年は世界から集まる若きピアニストたちに囲まれて生活していたそうです。
それではまた。
阿加井秀樹
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